森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』 ≪評価:5≫

夜は短し歩けよ乙女
いやぁ素晴らしい。森見の第四作は、デビュー作と第二作の雰囲気を受け継ぎつつも、さらに作風の幅を広げたものとなった。おそらく多くの感想が触れているであろう、その変化の要因はやはり「彼女」の存在。帯にもあるように天然キャラの「彼女」の存在が作品にサワヤカな風を吹き込んでいるわけだけれど、その裏に隠れてしまっている主人公にもこれまでとは異なった部分がある。例えば第一作の主人公と同じく、ある女性に片思いをしているという設定であり、「彼女」との遭遇を狙って行動している点などは同じだが、しかしこれまでの作品にあったような男臭さは薄まっている。そのためこれまであった諧謔は薄れているけれど、天然の「彼女」がそこを救ってる。これらの点がまず作品の間口を広げている。そして同時に語り手を主人公と「彼女」の二人とすることで語りにテンポが生まれ、これまでより立体感が出ている。そしてそれは(これが一番感心したところなんだけれど)、読者がイメージする作品内の情景を豊かにしている。第二話に顕著だと思うけれども、この話では語りが切り替わる際に、ある出来事や物、人物に焦点が合わされ、それをポイントとして語りが交代する。これはどこか映画のモンタージュ的な手法を思わせる*1。もちろんこれは二つのものがすれ違いあうというメロドラマの手法なのだけど、このおかげで「恋愛小説」としてのバランスが取れているように思う*2。そしてそこに彩りを添えるのが幻想的な道具立ての数々。「すこしふしぎ」なものとしてのそれらはこの作者の根幹であって、そのとき作者の筆は走り出す。第一作でもそうだったように、最後の幻想描写は作品のこれまでを凝縮し、かつ見事に決着を付けてくれる。とはいえそういったことは枝葉もいいとこであって、実のところは単にオモチロイ小説として読むのがいい。

ビスコを食べれば良いのです!

この至言をもって終わりとしたい。次作はいつですか?

*1:ただしこれは舞台となっている京都や京都大学、ここでは下鴨納涼古本祭りに何度も行ったことがある自分だからかもしれない。

*2:逆に言うとこれは映画にすると面白みがほぼ無くなると思う。モンタージュ止揚としての恋愛の成就!? よしとくれ。