歌野晶午『密室殺人ゲーム王手飛車取り』 ≪評価:2−≫

密室殺人ゲーム王手飛車取り (講談社ノベルス)
うーん、正直これは少し期待外れだった。五人のチャット仲間が実際に事件を起こして、それを他の四人に推理ゲームとして提出する、という形になってるわけだけれど、こういう形式の場合、割と落ち着く先が決まってきてしまうと思う。もちろん狭い意味ではいろいろと違うことをしていたりはするけれど、広い意味で見れば大体同じ形になるのでは。例えば『ペルソナ探偵』とか一九八七年のあの作品も広い意味ではそう。中盤までの展開も、いわば短編形式のような形になっているので、個々のトリックもそこまで感心するようなものではなかった。なので全体的な評価は低いけれども、おそらく歌野には本格形式をある程度、戯画化しようという目論みもあったのではないか。

僕や頭狂人が出した答も正解と認めるべきだ

出題者がばらまいた手がかりは余剰なく回収し、隙間なく台紙にはめ込んで一枚の絵として完成させてもらわないと。

何が謎かを推理する側に探させる/決めさせるという点、あるいは整合性の取れた推理であっても出題者の意図とそぐわなければ間違いにもなるし、同時にそのことが非難の対象ともなるという点。このような部分に、本格形式の特異性を浮き彫りにしようという試みを読み取ることは難しくない。また推理ゲームとしての最後の事件も、深読みすれば示唆的ではある。以下は真相を予見させます。
ハンドルネームと実際の名前というものは、そのまま推理ゲームと実際の事件という位相差に繋がっているけれど、こうした位相差の利用は基本的には叙述トリックとして提示される。基本的にそれまでの推理ゲームにおいては、ゲームレベルと現実レベルは切断されているけれど(調べればわかることを出題者は省いているだけ)、この事件においてはそこを接続させることが最大のトリックとなっている。つまり歌野は、現在までの本格ミステリというジャンルを作中に描き出しているともいえる。そうするならば、果たして最後のリドル・ストーリー的結末を読者は如何様に解釈すればいいのか。最後の推理ゲームの出題者である人間は作家の寓意でありかつ読者の寓意でもあるだろう。妄言であることは十分に承知しているけれど、ラストに掲げられた「To Be Continued...?」とはそのまま作中に描かれている本格ミステリそのものに向けられた問いかけかもしれないですよ。