ソウル・フラワー・ユニオン『カンテ・ディアスポラ』 ≪評価:≫

カンテ・ディアスポラ
前作より三年振りの新譜。以下は放言。
思えばSFUの活動は、マージナルな存在への注意の喚起という大きな軸の周りを回転してきたわけだけれども、初期においてはそれがともすれば彼らの表象=代理を行ってしまうという、例えばスピヴァクが真っ先に噛み付きそうな危うい構図を持っており、しかしある種の祝祭空間とでも呼べるトポロジックなものとして自らの活動を提示しようとすることで進んできた。しかし前作から彼らが意識的か無意識的かはさておき顕著にさせてきた、抽象的には「やさしさ」とでも言うべき手触りは今作に至ってはアレンジ及び歌詞までをも飲み込んでいるように思える。それはあえて言うならばマジョリティに対してのマイノリティではなくして、いわば「マイナー」なものを全面化させようという試みと解せなくはない。実際、先行シングルの一つである「ラヴィエベル」ではまさしく「生」が全面肯定され、「海へ行く」ではまさに「生」としての「海」が目指されている。その意味で今作において全面化した「やさしさ」は感動的なものではあるけれど、しかし同時に前作などでは共存しせめぎあっていたかのように聞こえた、その内部での衝突は薄れてしまっているように感じる。「ロックンロール」がその名の通り「ロック」と「ロール」という全く異なるものを同居させ、その葛藤のせめぎ合いにおいて捉えるべきものであるならば、そのせめぎ合いはここにおいて若干、身を潜めてしまってはいないか。ディアスポラはマジョリティに対抗する概念ではないけれど、それでもそれと無関係に存在しているのでもない。マジョリティを組み込んでこそのそれだろう。なので個人的に前作の方がよかった。とはいえ「海へ行く」や「閃光花火」といった曲の素晴らしさはいささかも揺るぎはしないし、「ラヴィエベル」のサビで音がどっと流れ出す瞬間の高揚感もまた素晴らしい。