古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』 ≪評価:3−≫

ベルカ、吠えないのか? (文春文庫)
近年、巷で大人気、かどうかは知らないけれど、やたらと評価されているように感じる作者の、一応は出世作というか知名度を上げた作品となるのでしょうか。戦争の世紀でもある二〇世紀を軍用犬の歴史として描きなおした作品。んー、全体としては微妙、ただ面白い細部はある、といったところですか。文体は確かに音読すると面白いリズムで読める、けど言語的な面白さは大してないように感じた。
人間ではなくイヌによって歴史を書く、いわば正史ではない偽史をイヌによって書くというのは面白いけど、イヌである必然性はよくわからない(ちなみにこの部分を評価するというのは、同じ基準で伝奇小説も評価するということでいいんでしょうか。あれも一種の偽史だけど)。繁殖力の問題? でも最初にイヌ史の起源が明らかなので、結局、線的な歴史にしかなってない。冒頭から時間の外、無時間(ゼロの時間)といったものを意識していて、それが宇宙に打ち上げられたライカが体験したであろうもの(宇宙)とも重ねあわされたりという部分はあるのに、線的な=クロノロジカルな歴史に収めてしまえば、その面白さも半減する(ご丁寧に文庫版では系譜図が付されているし)。雑種性とか言っても起源が決められている以上、それは単一な台座上の複数性にしかなんないでしょう。
イヌのパートは、二人称で進んでいき、神の視点を持つ語り手がイヌに呼びかけることで展開するけれど、どうしてイヌはみんなこの語り手に「うぉん」と応えてしまうのか(しかもこの語り手はイヌを代弁する)。この辺りが非常に気持ち悪かった。呼びかけに応え代弁されるものたち=「群衆」から「市民」になることと考えれば、まぁ悪い意味での二〇世紀史だけれど、どうもこの物語ではそれが悪いこととして提示されていない。それは実はライカが宇宙に打ち上げられたときの描写も同様で、この特権的な存在とされているライカが乗った宇宙船を、物語に出てくるイヌはみんな見上げてしまう。見えないにもかかわらず見てしまうというこの構図の気持ち悪さ。語り手の呼びかけに応えないイヌ、見上げないイヌを出すべきだったと思う。
しかし物語の細部には面白い部分もある。何よりイヌになってしまうかのような、「怪犬仮面」と「ヤクザの娘」。ヒトとイヌの間に厳密に区分が引かれているこの物語において、その区分を微妙に崩してしまう彼らは非常に面白い。特に「娘」に関しては、誘拐され、時間感覚がなくなり、言語が意味を為さない状態に置かれた上で「イヌのようなもの」になる。この「ゼロの時間」と「イヌのようなものになる」ことをより緊密に結びつけて語ってほしかった。