『オイディプス症候群』笠井潔

オイディプス症候群

アフリカで発生した謎の病気。それはアメリカのゲイコミュニティでも蔓延し始めていた。その病気に関する資料をアテネのマドック博士に届けるよう友人の学者、フランソワに頼まれたナディアはカケルと共にギリシャへ向かうが、アテネから移動していた博士を追う途中でカケルとはぐれ、旧友コンスタンと再会。そして博士のいるというミノタウロス島に彼と渡ることになる。島には哲学者ミシェル・ダジールの秘書としてカケルも来ていたが、何故かナディアに他人の振りをするように言う。島には他にも何人かの客が来ており、彼らはブルームという人物に招かれたらしい。その夜、客の一人が死亡するが嵐で電話は不通、船も難破し彼らは島に閉じ込められる。・・・こうして連続殺人の幕が上がった。その犯人は。そして「孤島の連続殺人」の意味とは。

矢吹駆シリーズ10年ぶりの第5作。今回は再読。
いつものように哲学談義が投入され、これまでのシリーズ中、最もリーダビリティが悪い…と言われている。でも再読して感じたのは、実は丁寧に噛み砕いて読めば大抵はすんなり頭に入ってくるということ。むろん、それが読みにくいとも言えるが本格ミステリにおける「嵐の山荘、孤島」の境界からの考察や視線の現象学などはそれを差し引いても読む価値があるだろう。連載時から大幅な加筆がされてるみたいだけど、やはり「檻」から「出る」ために「線引き」をするというのは連載後に『鉄鼠の檻』に触発されたものなんだろうか。
かわってミステリ部分だが、これまでの駆シリーズから見るとどうしても厳しめの評価を下さざるを得ない。これを書くためにクイーンの国名シリーズを読み返したというだけあって様々な物事から真相を明らかにしていく部分は論理的で、その過程は決して疎かにされていない。しかし例えばクイーンの『エジプト十字架〜』『オランダ靴〜』、あるいは有栖川有栖の江神シリーズに見られるようなある一点からの論理展開というのがあまり見られず、なんというか見事の論理の飛躍というものが感じられなかった。本格ミステリのロジックにはそうした部分がどうしても必要になってくる。論理的なものが求められながらも、同時に飛躍が必要という矛盾したジャンルだから。真犯人に関しての伏線も非常に微妙なものだったりするし意外と言えば意外だが、ちょっと存在を隠しすぎでそれはありなのかとも思ってしまう。連載ということでか、何度も同じような説明があることも少し引っかかった。もうすでに第6作の連載も始まっているけど、書き下ろしの方が完成度が高くなるのでは。この作品が駄作ということではなくて、本格ミステリとしては標準的な作品。哲学等の議論の部分を読み飛ばさずにじっくり読むべき作品。