ミニコメ

東野圭吾流星の絆』【評価:3−】
この作家にとってはアベレージか。もう少しメロドラマに対する距離感が欲しかったところ。逆にそここそがドラマ化の要因か。事件の真相に関しては程よい距離感≒ドラマに奉仕させない真相が取られていて○。

東野圭吾『夜明けの街で』【評価:2−】
不倫と事件を絡めて、双方から距離感を取るという作者らしい手法は見られるけれど、あっさりしすぎていて軸となるものがなくなってしまった感じ。不倫に過大な期待やカタストロフを求める流れに対しての距離感という点では成功。でも薄味すぎる。

とみなが貴和『EDGE』【評価:3】
作家の出自を知っていれば、地に足つけたプロファイリングとファンタジー・SF的要素が同居する点にも驚きはないけれど、若干浮いて見えるのも確か。登場人物の関係も含め、今後のシリーズでどこに重きが置かれていくのかが楽しみ。つかシリーズ完結してるけど。

雫井脩介『虚貌』【評価:2】
テーマとしての〈顔〉とトリックとしての〈顔〉の相克がポイントというのはわかるけれど、もう少し安易な構築に走らずに、むしろその部分に重きを置いてくれるとよかったのでは。様々な方法で伏線を張ろうとしていることは評価できるけれど、伏線だけでは説得力は生まれない。人間ドラマとトリックを関連付けるのであればそこを疎かにはできないはず。

・佐藤嘉幸『権力と抵抗』【評価:5+】
東浩紀存在論的、郵便的』(1998)から10年、構造主義からポスト構造主義における現代思想を捉えなおすという問題意識は基本的に同じくしながらも(ちなみに著者は東と同年齢)、〈権力〉と〈抵抗〉という、より切実かつ広い視野において、〈抵抗〉を考えるという基本書であり必読書。主体と構造の生成変化という区別によって、フーコー/D=Gとデリダアルチュセールという軸を立てている辺り、基本的かつ上手くて嫌になる。大学学部生にはもれなく読ませるべきで、というか近年の大学院生は勉強しないので大学院生にも読ませるべき好著で、さらに言えば主体化しなけりゃならんなどと声高に叫ぶことが支持を集めてしまう現在において、その危険性を考え直すためにも読まれるべき。やはりこの道を歩んでいる研究者としてバトラーの重要性(↓参照)が再確認される。

ジュディス・バトラー『自分自身を説明すること』【評価:5+】
責任のために主体化するのではなく、主体化にいかないからこそ責任が生じる、主体と責任の問題を転倒させることによって開かれる希望の道。フーコーを基本に、ほとんどドゥルーズ=ガタリ的な発想を展開しつつ、それをアルチュセール精神分析とも繋げていくという極めて高度でスリリングな議論はやはり必読。