伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』 ≪評価:4≫

ゴールデンスランバー
ふむ。前評判の良さにたがわず、見事なエンターテインメントでした。伊坂という作家に触れられる際に持ち出される要素が見事なまとまりを見せていて、確かにちらほら(?)と見られる集大成という言葉にも納得したくなる。作品内時間の扱い方やモラトリアムの描写、細かな伏線の回収、アフォリズムめいた一言、テンポとセンスの良い会話等々がバランスよく散りばめられている。
しかしおそらくこの作品の要は、何よりも主人公が結局は「権力」に対して、何一つ決定的な反撃を与えることができないという作品構造にあると思う。もちろんこの作品の焦点は第四部「事件」にあるわけだけれど、読者はそこに入る前の第三部において事件の結末、すなわち主人公の敗北をすでに知らされてしまう。それによってすでに諦念で覆われた第四部においては、台詞によって繋げられるカットバックが現在と過去の対比を鮮やかに描き出し、同時にそれは大学時代というモラトリアムと現在時のそれぞれの関係を浮かび上がらせ、そして主人公と共に読者は昔の関係性を現在時に取り戻していく。冒頭で提示された、主人公のいわば最後の場面に向かって怒涛のように進む物語は、その場面において伏線の収斂と仲間の団結をまさに一瞬の花火として打ち上げ、第五部に進んでいく。確かに第五部におけるエピソードの数々は感動的だが、それはこの物語に付きまとっている諦念とそれへのゲリラ的反抗との相克によるものだろう。最後に伝えられる、つまりは物語の最後に示されるあの言葉はそもそも上位の人間が下位のものを評するときに使う言葉であり(教師と生徒!)、もちろん作中では別の意味が与えられてはいるものの、結局は逃走という闘争でしかなかったこの物語の全てを表しているはずだ。しかし同時に読者は、その反抗が途切れていないことも知らされている。二十年後に事件の再調査を行う人物、「森の声」の存在を知っている人物(それが主人公であるという描写はないけれど)、これによって「権力」とそれへの抵抗という相克は消え去っておらず、そのことによってダイナミズムが生み出されていると思う。良い作品でした。