今年の本

買ってはいるものの未読多し。あと今日買った桜庭一樹赤朽葉家の伝説』が気になるところ。

これに関しては感想を書きたい。一言言えば素晴らしいのだ!

評判はあまりよくないような。しかしにもかかわらず『本ミス』では上位に。感想でも書いたけど、今作は〈操り〉の問題を考える上では避けて通れない作品だと思う。最近、考えてるのはその〈操り〉と名前の関係。

トリック個々に新味があるとは言えないが、様々なテクストの駆使、横溝よりも土着的な(これはやはりホラー・ジャパネスクとも関連するのか)因習、感覚的な嫌悪感を抱かせる文章、これらにトリックを接続することで本格としての完成度が非常に高くなった。『凶鳥の如き祟るもの』も本格として決して悪い出来ではなかったけれど、今作にあったようなテクストの駆使がなくなった分、語りのダイナミズムが薄れたかな。このシリーズの次作、楽しみです。

これまたあまり注目されていないような。しかし「純愛小説」を相対化してみせる手振りには瞠目。背後でニヤニヤ笑う作者の顔が見えるような、とはいえテクストとして提出されているこの作品のこと、そんな読み取りもまた野暮か。作品内で使用されるビデオカメラがデジタルでなかったら、完璧なものになっていたように思う。そうすれば光としての彼女、文字としての彼女という対比が生まれたはず。『シュガーな俺』はまだ買ってないけれど、新刊がほんとに楽しみな作家になった。

今年一年で一躍、有力新人となった道尾。やはり変な趣味の自分としては、変なところがありつつも手堅くまとめられた『骸の爪』よりもこちらを取りたい(正確には今年刊行ではないけれど今年度ってことで)。

  • 『死の相続』セオドア・ロスコー

番外編。こういうの大好き。

ドゥルーズの重要文献、待望の邦訳。実は未読。でもこれは外せない。「1」の刊行予定もひとまず出たようなので(今のところ六月予定)それまでには。今年は『アンチ』『意味の論理学』の新訳文庫化というびっくらな事態があったことも付記。

それに関連するのがこの二冊。前者はフーコードゥルーズというラインを基にアガンベンネグリ=ハートをカバーしつつ、最近に至るまでの見取り図を提出。「生―権力」というキーワードは最近、氾濫しているけれど、その中でも簡潔な見取り図という点ではこれかな。後者は生成変化と料理を重ねて論じたもの。これまた読みやすい。

  • 『論理の蜘蛛の巣の中で』巽昌章

ミステリ評論ではこれしかない。近年、前景化しているミステリの特色をいち早く捉えていた著者。「壊れた人間」という言葉は、おそらくその言葉のわかりやすさとは裏腹にミステリにおける根本的な問題系へと接続されているはず。日本における現代本格ミステリが徐々に失速していく中で、過去に戻ってミステリを洗い直す手付きには今後ますます期待。
余談だけれど笠井の『ミネルヴァ』三巻は新しい徴候を分析しようとして、それはいいが結果、実に粗雑な論になったけれど、最近の叙述トリックの再検討という点はなかなか面白い。とはいえ今月号を読むと、それを大量死理論に接木していくようでうむむ…。

題名通りのことを追っていく論は、非常に面白い。