『仮面幻双曲』大山誠一郎 ≪評価:3≫

仮面幻双曲 (小学館ミステリー21)
デビュー作品、「彼女がペイシェンスを殺すはずがない」で端正な犯人当てを、そして『アルファベット・パズラー』で前作にはなかった奇想を垣間見せてくれた著者の(単行本としては)第二作。というわけで僕も期待に胸を高鳴らせつつ、つまりは時間を確保し飲み物とお菓子を用意して読み始めたわけですが…。正直に言って、つまらない。確かに論理展開はきちんと考えられている。さらに伏線の回収も問題は無い。しかし。何だろう。この不満足感は。
一言で言うならば、この不満足感はあからさまな伏線と過去の作品の再生産性に原因がある。例えば120pや129〜130pを読んで、何か疑問に思わない人がいるだろうか。もちろんここで想定しているのは、本格ミステリを読み慣れた人だけれど、そういう人にとってこの部分の記述は、過去の作品で何度も見てきたような記述に違いない。特に129pの点については、ご丁寧にも探偵役がさらに注意をうながしてくれる。その点に引っかかりさえすれば、いくら双子と整形手術という要素があっても、ある程度の真相に辿り着くのはさほど難しくないのではないか。とはいえ、この点は難しいところではある。ここでは本格を読み慣れているかどうかはあまり関係なく、気付くかどうかの問題になってしまうから。しかしそれにしても、あまりにもあからさま過ぎるのではないか、というのが僕の考えだ。
もう一つの後者は、特筆すべき新しさが見えない、という点だ。これは実は以前、『模像殺人事件』を読んだ際にも感じたことだけれど、結局、これまでの本格ミステリの何らかの要素の組み合わせで作品が成り立っているように思うのだ。むろん、これは本格ミステリとしてのレベルが云々ということではない。どちらも本格ミステリが好きな一読者として、楽しく読んだし、本格ミステリとしての水準も双方ともにそれなりに高い。こう言うと「なぜそれではだめなのか」、という問いがくるのかもしれない。しかしそれは単なるノスタルジーに陥る可能性があると思う。今の本格ミステリ界に行き詰まり感が漂っていることは誰の眼にも明らかで、そうした状況でこうした作品を必要以上に持ち上げることは、滅びるということを前提として、ノスタルジックにそのジャンルを語るという、横暴と言ってもいい思考を生産してしまいかねない。そうした危険性は指摘しておくべきだと思う。僕が道尾秀介の『向日葵〜』を(厳密にはすでに試みられていることながら)高く評価したのは、そうした理由もある。ま、単純に変なものが好きだという疑いも多分にあるけれど。
本格を構築する力はある作家だと思うので、ぜひとももう少し突き抜けたものを読ませてほしい。ただ一方でこのレベルの作品を生産し続けてほしいという思いも…あったりする。