昨日の続き

二階堂HPでやはり議論が起こってる模様。別に首突っ込むつもりはないけど、定義の②はまずいと思う。作家の精神とか考え出したら(エッセイなら良いかもだけど)議論の体を為さなくなるって。それの行き着くところはタコツボ化した価値観の可能性が大なんだから。
ところで昨日の続きで言うなら、二階堂氏の言っているのは東野作品は故意的な書き落としによって成立しているもので、それでは読者は推理の余地がない、もしくは(可能性がありすぎて)厳密に推理不可能だということだと思う。やはりこれは叙述トリックがどこまで許されるか、それからミスリーディングやらダブルミーニングはその範疇に入るのか入らないのかという問題に繋がっていく。