『幻夜』東野圭吾

幻夜

水原雅也の父が自らの工場の経営難から自殺したのは1995年の1月だった。父の通夜の翌朝、西宮を襲ったものは大地震阪神大震災だった。大きな怪我も無く外に這い出た雅也が見たものは重傷の叔父。昨夜、父の保険金から借金を返すよう言われていたことを思い出した雅也は次の瞬間、瓦を振り下ろしていた。そしてそれを一人の女、新海美冬が見ていたことに気が付く・・・。

まず言っておくべきは、これは『白夜行』の続編になっているということ。作中で明言はされてないけれど、様々な符号から考えるとそうでしかありえない。なので感想等も必然的に『白夜行』と比較しつつ進めていく、という形になるんだけれど・・・。
ただ構成なんかの点では両者に大きな違いは見られないといっていい。やはり前作との一番の違いというのは描写の違い。前作はよく言われるように主人公二人の内面を一切描写せず、周囲の人間からの描写で彼らの内面を読者の内に膨らませるという手法を使っていてそのある種、実験的なやり方が見事に成功している傑作だったわけだけど、今作では主人公、雅也と美冬のうち、雅也については内面描写がごく普通に行われている。そして彼の視点で進むパートが多いので、当然彼の内面は多く読者に伝えられている。またそのため、美冬についての描写も多くなるので前作よりも彼女の露出は多いと言える。
さてではこれをどう評価するかというところなんだけど、僕は前作を楽しめたのは単純に物語として面白いということ以上に、やはり上記のような手法を使って、それに成功しているという点があるから。今作でも美冬についてはそれが使われているけれど、彼女の内面が膨らんできはしなかった。あと前作で批判した点があるけれど、そうした批判に対するエクスキューズのような部分が今作にはある。正確には517p下段最初。ただこの部分は東野圭吾の巧いところかな。ここがあることで結果としてトラウマ小説と受け取る人、受け取らない人双方を抑制していると思う。正直ずるいんだけどさ。ま、この調子で行くならもう一作くらい書かれると思うし、最終的な判断はそこで。
あ、結局のところ僕の感想は物語としてまぁまぁ面白いけど傑作じゃないですよ、と。『白夜行』読んでると繋がりを考える喜びがある反面、出来が落ちていることに失望するという悩ましげな作品。