共同体としての「村」の推移

『悪霊論』の中にあった共同体が解体されていく、あるいは貨幣経済に組み込まれていく中での抵抗の一つとしても「異人殺し」を捉えていた、ということと同じ論文に書かれていた外に開かれていた共同体から内へと向かう共同体という変化、というような記述が妙に頭に残っている今日この頃。
この辺りの、共同体としての意識のようなものを探偵小説と重ね合わせて論じることはできないだろうか。特に横溝なんかの小説はこの視点で読んでいくことが比較的、簡単に出来そうに思える。気がするだけかな。内に閉じられた密室、そして外に開かれることが決定してもいる密室。そこから翻って、90年代本格ミステリの中での密室の役割ってものを考えていくのも面白いかもしれない。そこで出てくるのは、もう密室を機械的に開け続けるのはたくさんだ、という奇妙で矛盾した悲痛な叫びだろうけど。有栖川の『孤島パズル』での探偵役、江神の言葉が象徴的かもしれない。