昨日の話

海燕さんの考えにはやはり基本的に同意です。設定と体験は分けて考えるべきとは思うけど、その一方で登場人物の考えや感情などに作者の実体験なりが反映されているだろうとは思う。そして同時に

全般的に見てかれの小説が比較的狭い世界の出来事を描いていることは否定できません

ということも確かだと思う。それは乙一だけでなく、佐藤友哉西尾維新らにも言えることだろう。…なんだか昨日の「設定云々」の部分は重箱の隅をつついてるような感じだ。少し反省。
さらに海燕さんの後半二段落はまったくもってその通りだと思う。単にこうした面から見るとだめだからとか面白くないからという理由で切り捨てていくことはあってはならないだろう。最後に。コメント欄の海燕さんの言葉。

なぜみんな自分がその本を読むのにふさわしいほど賢いと信じて疑わないんだろうか?

この言葉は常に心にとどめておかなくては。これはどんな形であれ、何かを評価する際に覚えておかなければならないと思う。