浦賀和宏『上手なミステリの書き方教えます』 ≪評価:4≫

上手なミステリの書き方教えます (講談社ノベルス)
いやひどい。ほんとにひどい。もう一度言おう。ひどい。でも素晴らしい
松浦純菜シリーズ第三作。前作での「パンツあげようか?」という純菜の言葉に悶々とする主人公八木の、朝起きては学校に登校しては学校で虐められては学校から帰ってはバイトをしていては要するに四六時中純菜のこと及び彼女のパンツのことと自分を虐めた奴及びそのような世の中に対しての理不尽さと鬱々とした怒りを考え続けふとした彼女の仕草や言葉や自分の行動に対して後悔と自責の念に駆られるある一期間の話。
まずミステリ的な読みをするならば『上手なミステリの書き方教えます』という題名、そして章の頭に記された①〜④までの具体的なミステリの書き方を完全に裏切ったミステリ的仕掛けを施すというある種のメタ的構造を持っている。とはいえその方法論は特に目新しくも無い。事件の真相とそれに付随する描写(ウグノリが出てきてってところ)も何だか精神分析的には非常に陳腐なものな気がする。
しっかしそんなことはこの作品の前では大した意味を持たないのだ。あああ、やはり浦賀ルサンチマンを書かないと駄目なんだ。実際、ここまでルサンチマンに彩られたモノローグが支配する作品というのは中々お目にかかれない。そしてこれを実際に書いてしまうというのも。そして延々と全編にわたって書き連ねられるある作家の呪詛と八木の鬱屈した内面独白を潜り抜けたところに待っているのは、結末圧倒的感動、とまで呼べるかは果たしてわからず、単にあのルサンチマンを通過した読者にそのように感じられてしまうという一種の詐欺なのかもしれないけれど、とにもかくにも何だか感動のようなものを覚えて立ち竦まざるを得ないという結末なのだ。おそらくわれわれがここで覚えている感動とは、単に八木の内面が一時的にせよ解放されたということによるものではなく、「メェ〜」というかつては八木に向かって発せられた蔑みの言葉がそれを発した本人に向けられ、つまり同語反復されたときに、言語を介して言語ならざるものが立ち現れるのを垣間見た気にさせられるという一点によるものなのであって、そうであるからこそこの作品は「言葉にできないまま」という言葉で終わるという矛盾を抱え込まざるをえないのだ。はい、もちろんこの一文は嘘っぱちです。
冷静に書いておくなら、浦賀の行っているメタ的な手法は一度きちんと構造を考えてみても面白いかもしれない。それは作家、浦賀和宏に対する注釈などのようなメタだけではなくて、例えばこの作品の最後の言葉は「言葉にできないまま」だけれど、そうした言葉に対してすでに前半で自己言及しているというような点はもう少し考えてみてもいいのではと思う。人を選ぶ気はするけど、浦賀にはこういうのを求めてる人って実は多いんじゃなかろうか。ただはちゃめちゃな作品に見えて、実は伏線がきちんとあったり終盤での構図の収束ぶりなど、上手くなっていることは否定のしようがないと思う。でもやっぱり人は選ぶなw