『千一夜の館の殺人』芦辺拓 ≪評価:2+≫

千一夜の館の殺人 (カッパ・ノベルス)
最近、精力的に作品を発表している芦辺拓、と思いきや書き下ろしとしては二年振りとのこと。あとがきにもあるように作者が近頃、頓に(そして声高に)唱えている「物語性の復権」を目指して書かれた森江シリーズ長編作品。とはいえ正直に言って楽しめたとは言えない。それは作者が唱える「物語性の復権」の意図するところがよく掴めないことから来ているのだけれど…。
ひとまず本格ミステリとして読んだ場合(とはいえ作者が狙っているのは「探偵小説」となっているので、その時点で少なからず差異があるかもしれないのだが)、可もなく不可もなくといったところか。次から次へと事件が起こるように描かれていて、事件の構図に対する興味は持続する。しかし同時に個々の事件に強烈なインパクトはなく、展開の速さにもかかわらずどこか退屈な印象を受けた。それはもちろん事件全体に仕掛けられた一つのトリックから逆算するなら必然ではある。ただ、犯人の行動原理の前提には首肯しがたい、と言ってもそれを言い出したらだめってか。まぁ実はこの部分には、こうした作品体裁を意識した上でのうっちゃりとも言えるような点があって、その企みは非常に面白かった。
ところで作者の言う「物語」とはいったい何なのだろうか? 作者が言うように横溝や乱歩、あるいはそれ以外の過去の作品に、ミステリ的骨格以外の要素が詰まっていることはわかる。僕自身もそうした部分を楽しんできた。しかしそうした要素をそのまま使用しても、「物語性の復権」が行われるとは到底、思えないのだ。もちろんそうした方向性自体は別にいいと思う。オマージュ、パスティーシュとその手の作品はあってしかるべきだ。しかし仮にも「物語性の復権」と歌うからには作者なりの提示を示してほしい。別にいつぞやかの批評みたく「物語」から逃れようなどと言いたい訳ではなく(かといって擁護したいわけでもないけれど)、「物語」とはそんな単純なものではないはずなのだ。このような方法は、実は意図とは逆に物語を矮小化しているような気にさえなってしまう。確かに説話論的構造のようなものは強い物語性を与えてくれるけれど…。この辺りの認識が作者とは上手く合わないのですわ。
ついでに言うならば「アラビアン・ナイト」を用いる必然性もよくわからなかった。ついつい『紅楼夢の殺人』のような換骨奪胎を期待していたのだけれど。とはいえ良い部分はいくつかあって、エピローグでの原点との繋げ方や犯人との対決場面の叙述、ロマンに満ちた砂丘の場面などなど、上手かったり美しかったりする。あ、館の使い方もなかなか面白かった。ということで評価としては標準、というなんともしまりのないところに落ち着きましたとさ。