島田荘司『帝都衛星軌道』 ≪評価:3+≫

帝都衛星軌道
ミニコメ。
島田荘司が視覚の人であるということは、これはもう彼の作品を読めば顕著なことであって*1彼自身かそれとも別の誰かもどこかではっきりと述べていたと思う。よく島田荘司は「豪腕」などと称されるが、その「豪腕」たる所以はトリック解明の瞬間に読者の頭に、写真のように焼き付けられるその視覚性にあるのではないか。そこから法月とは異なった論点が導き出せないかとも思うけれど、それはひとまず置いておこう、というかすでに誰かがどこかで言っていると思う。
けれど御手洗シリーズなどに見られる大技物理トリックがない分、今作ではそうした視覚的な点が若干、影を潜めている。とは言っても誘拐事件における主要な謎の一つが明かされる際には、明らかにスペクタクルとでも言えるようなその光景が広がり、本書の題名にある「衛星」という言葉がここで大きな意味を持ってくるように思われる。以下、真相を予見させる部分あり。
もちろん作中で述べられるように、ここでの「衛星」とは衛星のように周回軌道を持っているという意味で用いられているが、衛星のもう一つの特徴とは当然のように上空からの視線というものだ。それも飛行機やヘリコプターのような中途半端な俯瞰視点では今作の光景は再現できず、それこそ「衛星」のように東京の地理を一度に捉えられるような存在を想定して、初めて真相に付随してたち現れる光景を再現することが可能になる。こうした点から、例えば吉本隆明の「世界視線」だとかそれを批判的に再利用する仲俣暁生の論に繋げることができるかもしれないけれど、おそらく島田は「衛星」という言葉を権力の比喩としても使用していて、それはそれでわかりやすいけれど、それはちょっと陳腐というか古いなと思う。これは最近の御手洗シリーズにも通じることで、そのように上位にある権力が真なるものを規定するという図式が未だに通用するものではあるはずがない。彼自身の日本人論なんかも含めてやはり苦笑するほど古臭いという感じで、ミステリとしてはふむふむと頷きつつ読めるけれど、問題意識という点では首を捻るところがある作品だった。
ただしあえてそうした点から抜け出すような点を見出すならば、やはり東京の地下に存在がほのめかされる多くの地下道の存在だろうか。もちろんこれは権力側が作ったものだが、今となってはその正確な場所を把握されておらず、どこで接点を持ち、どこで地上と通じるかわからないその存在は、あたかも巽昌章が言うような「壊れた世界」を実体化したようなものとしても考えられる。この点はもう少し考えることで幅広い問題射程へと繋げることができるのではないか*2

*1:もちろんそれだけではないけれど

*2:あくまでこれは「あえて」の話であって、そこまでして今作を救い上げることに、大して生産性はないと思う。巽の問題意識はまた別で。