『吾輩はシャーロック・ホームズである』柳広司 ≪評価:3+≫

吾輩はシャーロック・ホームズである (小学館ミステリー21)

ラインバッハの滝でホームズが死んだとされた後、ワトソンは実は生きていたホームズに新たな事件簿を出すことを止められていた。そんなある日、ワトソンの下にナツメという一人の日本人が連れてこられる。しかし彼はなんと自らをホームズと思い込んでいたのだった。名推理ならぬ迷推理を振りかざすナツメ。そしてホームズとワトソンの友人であるスタンフォドの招きで出席した交霊会で殺人が起こり、二人は事件に取り組むことになる。事件の背後には魔女が出ると噂の倫敦塔が・・・?

柳広司、久々の新刊かな。ひとまず本格ミステリとして読むことはあまり出来ないけど面白かった。ホームズと留学中の漱石を組み合わせるという趣向はそんなに珍しくなくて、最近では島田荘司漱石と倫敦ミイラ殺人事件』があるし、古くには山田風太郎『黄色い下宿人』とかがある。ただこの作品の面白いところは、やはり漱石が自らをホームズと思い込んでホームズの行動を真似ようとするところ。さっき挙げた二作はホームズの奇矯な行動(身長が高いのに高齢者の変装をするとか)や漱石の推理がホームズのものの上を行ってしまうだとかで、いわば漱石は原典の隙間を突く者として設定されていた。しかしこの作品では漱石にホームズを演じさせることで、原典の隙間を突きつつも漱石自身を特権的な立場に置かないという捩れが仕掛けられていて、この作者らしいと思う。
と言うのも、この作者は『はじまりの島』でもそうだったけど、割とコロニアリズム的な部分に関心があるように読めて、上記の仕掛けはもしかするとオリエンタリズムの再生産みたいなことを防止する装置としても機能してるんじゃね?とか何とかを今朝の起き抜けに数分考えた。とりあえず終盤で微妙にこの作者が好きなメタ的な部分が出てきたりして、いろいろ考えながら読んでいくと面白い作品かもと思う。漱石の見当外れの推理が、ホームズの手法と何も変わりなくて実は推理が真実と合致するかどうかの違いしかない、とワトソンが気付く場面なんか、あからさまにホームズの推理の本質、評論的に言うなら演繹的推理でも帰納的推理でもない、アブダクションと呼ばれる推理法であることを描いてたりするし。ま、物語内容レベルでも、単に漱石のホームズっ振りが良い。ミステリ的側面は大したことないけど、楽しい作品でありました。