『スリーアウトチェンジ』SUPER CAR

スリーアウトチェンジ

これはレビューじゃなく自分語り。きっと意味不明ですよ。変ですよ。なんか彼らの解散はミッシェルよりナンバガよりズシンと来た気がするんだ。そのせいで昨日からずっとこの1stを聴き続けてる。なんなんだろこの青さは。この1stにこそ青春の青いって感覚の全てがつまってるんじゃないかとさえ思う。
ギターロックとして申し分のない絶妙のPOPさ、エフェクトをかけることで気分の躁鬱を巧みに表しているようなギター、ナカコーのボソボソとして変わらない毎日のようなVoとミキの希望いっぱいのようなきらきらしたVo。
そんな躁と鬱、あるいは陽と陰を行き来するギターやVoと同じように未来を夢見ていること―希望、と何の変哲もない繰り返しの毎日を受け入れること―諦念、を並列させて歌われる歌詞。

「こんな僕が変われるなら今しかないって気がするんだ」
「こんな僕にやれることはこれしかないって気がするんだ。」

こんなまず一歩踏み出そうってことを歌ったかと思えば、次の曲で「明日から変われるでもない」なんてことを歌ってたりもする。夢見るくせにあきらめて、悟った振りして足掻いてもがいてる。でもその先に見えてくるのは絶望も希望もどこかに落としてきた、いやもっと言うならばそんなものに意味付けをしない世界。それはあまりに90年代的であって同時に90年代的でない。
そんなの頭でっかちの10代の人間にとっては真ん中高めのHRボールに決まってる。釣り球かもしれないけどさ。もしかしたらシューゲイザーに青さを感じるのはこの作品の影響なのかもしれない。後ろで鳴ってるギターが上で書いたような作品の温度に調和しすぎてる。
高校の時に聴いて以来、はまるんじゃなしにずっと地味に聴き続けてる。きっとこれからもそうなんだと思う。あの時から何か変われたんだろうか。何かやれたんだろうか。夢は叶えられたんだろうか。