『生首に聞いてみろ』に関する戯言

『生首に聞いてみろ』読了。割とあっさりとした仕上がりではあるけど、最近の法月の小説の特徴がよく出てると思う。
なんというかここ最近の法月綸太郎の作品は、例えば巽昌章が指摘するような、
事件がある一点(黒幕であったり運命であったり)で支えられているものでもなく
まただからといって結末で混乱や分裂を強調しているようなものでもなく
さらには最近の島田作品のように一つの真相を提示することで事件という世界を閉じてしまうものでもない。
ただ事件関係者の様々な人間関係等を組み合わせ、複雑化する(複雑に見せる)ことで事件が構成されている。
そういえば巽も人間関係がどうのこうの、というのはどこかで言っていたと思う。
まぁある種の超越的(?)犯人や探偵がいないというのは長編がなかったから、とも言えるかもしれない。
でもこれまでの法月の長編にもそんなものは出て来なかったし、やっぱり一つの特徴と言ってもいいと思う。
これまで法月の作品、特に長編は「後期クイーン的問題」にのみ焦点が当てられてきたけれど
(確かにこの作品にもまた名探偵の役割を果たさない探偵法月という側面があるのだけれど)
実は巽が指摘したような90年代本格ミステリの一つの流れとは異なる方向に、ベクトルが
向いている作品として読み解くことも可能なんじゃないか。まぁ単なる思い付きではありますがね。